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志ちの経営哲学

従業員に対して:

従業員たちには、わが子のように慈愛深く振る舞い、
従業員とともに食事をする。

小渕志ちは、ずっと多くの苦難をなめていたので、人の痛みには極めて敏感だったのでしょう。 必然と従業員たちには、わが子のように慈愛深く振る舞いました。 理想的な女性経営者の先駆けは、すでに明治と大正時代に存在していたのです。 朝は一番に工場を見まわり、従業員と食事を共にしたそうです。

製糸業については、映画にもなった「ああ、野麦峠」のような女工哀史を想像しますが、 小渕志ちの工場は、和気あいあいした様相でした。
その愛情は従業員に伝わり、従業員の集まりである糸徳会によって、故郷の岩屋山(いわやさん)の麓に、銅像が建てられました。

従業員、そして、二川のご住職、徳次郎、故郷の人々・・・ 人々の愛情が小渕志ちを支え、また、受けた愛情を惜しみなく返す経営を行っていました。

従業員に対して

福利厚生:

みんなが学べるように。
従業員たちを対象とした青年学校を設立。

読み書き算盤がなくても糸は引ける。それにも関わらず、小渕志ちは、「生きることは学ぶこと」として教育を重要視しました。従業員たちを対象とした青年学校を開き、東京に地元出身の若者のための寮「糸徳学生寮」も建設。 小渕志ちは、社会全体への利益を考えた結果、今でいう、福利厚生を行っていました。そして、従業員の教育レベルが上昇した結果、大正末期には千名が働く製糸工場に結実します。

その功績が称えられ、日本人女性として初めて天皇陛下に個人拝謁する機会も得ました。

開発者として:

捨てていた玉糸を宝に変えた粘り強い研究

玉糸とは玉繭(2頭で作った繭)から引いた糸です。玉繭は、当時、屑繭扱いで真綿原料となっていました。玉繭から生糸を紡ぐ技術開発は「仕入れ値の大幅削減」「独特な風合いを持つ玉糸生産という独自性」を叶えることができ、大きな利益につながりました。

誰もが見向きもしなかった素材に光を当て、諦めずに開発したことで生み出すことに成功した大きな利益です。

開発者として

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