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志ちの経営方法

  • 生きることは学ぶこと。

    生きることは学ぶこと。

    小渕志ちは、「生きることは学ぶこと」とし、生涯学ぶことを重要視しました。無学によって苦労し、学ばないと生きていけなかった背景もあり、小渕志ちが数々の逆境の中で強く感じた「生きる」=「学ぶ」の精神。製糸工場を建設してから従業員たちを対象とした青年学校を開き、また、その想いは後世まで受け継がれて、二川幼稚園が設立されて現在に至ります。

  • いつでも無償の愛を。

    いつでも無償の愛を。
    そしてそれはいつか自然と返ってくる。

    読み書き算盤がなくても糸は紡げる。それにも関わらず、小渕志ちは、自分が受けた無学の苦労から人々を救うため、社会の利益のため、従業員のため、従業員たちを対象とした青年学校を開き、工場の敷地内には医療施設をつくり、東京に地元出身の若者のための寮「糸徳学生寮」も建てられました。

    自身が受けた苦難を無償の愛で人々に貢献し、そしてそれが従業員や地域との絆へと発展していく。愛と志の経営を行いました。

  • 人生に嵐が吹いても、強く、実直に生きる。

    人生に嵐が吹いても、強く、実直に生きる。

    小渕しちは江戸〜昭和にかけて生き、女性の地位などなかった時代に社会の厚い壁を打ち破って、自分の運命を自分で切り開こうともがき、人間として生きようと希求した女性です。
    夫からの度重なる暴力から自立する道を選びます。結婚も離婚も女性にとって自由というものがなく、仕方なく一緒に出奔した男性と虚偽の戸籍を作ります。近所の和尚が保証人となりますが、その事が罪となり、和尚は牢死、夫は下獄後、犠牲となった和尚の死を苦に絶食して亡くなります。
    小渕志ちは夫の死にくじけることなく、悲しみから立ち上がると、玉繭から糸を紡ぐ方法を夜明けまで考えることも度々あったと言います。
    その苦労が玉糸製糸成功へと結実していきます。

    新たな土地で、よそ者・無学・罪人の汚名を浴びながら必死の努力で小渕しちは夫の名を付けた会社を発展させ、一人目の夫の間に生まれた盲目の娘を迎え、従業員、地域から尊敬される人物へとなっていきます。

    それは、暴力に負けず、汚名に負けず、無学にも負けず、よそ者と敬遠されても、じっと強い心を持ち、愛を持って実直に行動し続けた結果に他なりません。

  • 特殊な製法を専業とする。

    能力を発展させ、教え、開発し、
    特殊な製法を専業とする。

    小渕志ちの育った環境は、家庭内の仕事として、繭から糸を引く環境でした。志ちはその高い座繰りの能力を、自分一人だけのものとせず、故郷群馬から二川町(現在豊橋)に越した際、人々に製糸の技術を教えます。そして、屑繭扱いされて見向きもされなかった玉繭から糸を取出す方法を成功させ、玉糸製糸の第一人者として創業。朝倉仁右衛門と共に明治25年から玉糸専業の工場を設立します。

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