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コラム

女性の生き方日誌・「人形の家」と「あゝ野麦峠」から見る『小渕志ち』

明治・大正を生きた小渕志ちの偉業を伝えるべく、2020年5月、二川の商家・駒屋で開催予定だった展示会は、コロナの影響で延期となったが、次回は、長野県の岡谷蚕糸博物館で開催予定(2021-2022年)。生活する女性と働く女性という両側面で小渕志ちと人形の家と「あゝ野麦峠」で出てくる人物と比較しながら見ていきたい。100年以上も前の作品から今を読み解くヒントが隠れている。まずは、生活する女性という側面から記載していきたい。今では女性の社会進出が当たり前となったが、当時「人形の家」を書いたイプセンは紛れもなく先端を行っていた一人である。

 

 

「人形の家」は、ノルウェーの劇作家、ヘンリック・イプセンの代表作とされる戯曲で、今から140年も前の1879年に書かれ、同年、デンマーク王立劇場で上演された。裕福な弁護士ヘルメルの妻で、お嬢様育ちの奥様ノーラが、夫と三人の子供を残して家を出ていく決断をしたという話。日本における初演は、「人形の家」が誕生してから30年余り後の1911年。それでも今から100年以上も前!文芸協会が主催で、会長の坪内逍遥の私邸で公演されたそうだ。

 

「人形の家」のノラは、8年の結婚生活を捨てるが、実際には、20年、30年、もっとそれ以上に続いた結婚生活にピリオドを打つ人もいる。たんに結婚生活が50年間続いたというだけで、それを賞賛すべきではないだろう。もしかすると彼らは、変化を恐れ、正直であることを恐れ、苦しんだかもしれない。長く続き、繰り返された価値観は、それだけで自動的に美徳となるわけではない。

 

今日の女性たちは、自分たちの母親の時代に比べると、自分自身の道を選択してもよいという許可を多少、得やすいが、それでもほとんどが、他人から自分に与えられる要求に縛られているように感じている。したがって、女性は自分自身になるという自分の権利に対して、男性よりももっと多くの勇気や思い切りのよさを必要とするのかもしれない。

 

「人形の家」のノラのように、女性は、他者が自分に要求することと自分自身への義務とをはかりにかけねばならない。自分を犠牲にして周りに尽くす日本の妻や母親たちは「家族のために犠牲になった」かわいそうな自分や、「自分を後回しにして、家族のために尽くした」立派な自分を折につけてアピールし、控えめなようでいて、実はうらみがましかったり恩着せがましかったり押し付けがましかったりする。時代背景とは相反して、自分の意思で、ずっと住んだ家と身内を置いてそれでも「選んだ道で生きていく事」を選択した事は、ノラも小渕志ちと通ずるものがある。

 

次は、働く女性としての一面を見ていきたい。山本茂実 著の「あゝ野麦峠」は、過酷な労働に耐え、明治の富国強兵政策を底辺で支えた無数の少女達。その女工哀史の真実とは。四〇〇名に及ぶ元工女を訪ね、歴史の闇に沈んでいた近代日本の民衆史を照らし出す、ノンフィクションの金字塔である。

 

 

明治から昭和の初期にかけて日本の経済を牽引した生糸工場で働く人々の姿を描いた本。 女工の苦しい日々だけが取り上げられているのかと思ったが、当時の農村の絶対的貧困、生糸業界の構造的な課題、労働組合の動きなど、女工達からの直接のインタビューを含め、多角的に解説している。 社会保障のない中での厳しい労働条件のみならず、生糸がいかに日本の発展に貢献したか、貧しい農村の様子など、経済大国になる前の日本の様子がよく分かる。読んでいくととても悲しくなる。でも約100年前の工女さんたちが今の日本の基盤を支えてくれたのだなぁとありがたく思う。外部から見たら悲惨な環境に見えても、当事者たちは意外とそうは思っていなく、むしろ感謝しているフシもあるという点は、現代のサラリーマン生活にも似たようなものを感じる。(当時に比べて現代は格段に恵まれているが。)多くは劣悪な環境下、薄給で働きづめ命を削る工女の話なのだが、給金で田んぼを買い、着物市を楽しむ工女もいた。工場経営者も自分達の生活など何をおいても工女への支払いを優先して行っていたと言う。この矛盾はなんなのか?一概には言えないが、工女の生家水準や各工場の格差があるのが意外だ。読み進めていくとわかるが現代なら“ブラック”と称されるような労働環境。しかし、当時は田畑で仕事するより一家を支えるまで稼ぐ百円工女とも呼ばれる女性もいた。工女になれば、食事も3回、食べるものない当時の生活面で恵まれている方だ(その逆もしかり。脱走、実家に帰って戻らない実力主義の厳しさもあり)。女工に限らず、明治から戦後の人々の血の滲むような努力があったからこそ、現代人は豊かさを享受できるのだということを忘れてはいけない。

 

工女として糸をつむぐ事で、それが日本の輸出品目の第一位を生糸が約60%占めて日本の産業を支えた大正期。その中で97%がアメリカ向けに輸出され、政府は儲けた費用を軍需産業に使った。生糸は本来なら平和を象徴するもだったはずが、戦争の助長をしてしまった。敗戦後は、GHQの元、生糸は衰退してレーヨンにすり替わってしまった。

 

女性の参政権がなく女性の社会進出がほどんど認められない時代に、小渕志ちは糸を紡ぎ、人を手繰り寄せて来た。糸徳会のOBは、小渕志ちを慕い手記でその功績を称えている。ああ野麦峠の様な当時の「劣悪な環境で働く」という面では、同じかもしれないが、工女のために生け花や書道やそろばんなど、工女が学べる宿舎を準備していた点は、小渕志ちの糸徳工場が先進的であり女性の人権を確保していた。そして、玉糸から糸を紡ぎ世の中に新しい価値を生み出した、志ちの偉業は、平和を願いながら女性の生きる術を編み出していたに違いない。「人形の家」のノラが家を出るシーンでは、小渕志ちが中島伊勢松と駆け落ちするところを連想するし、「ああ野麦峠」での工女の働きと糸徳工場での女性活躍のシーンが重なる。今回は、生活する女性と働く女性というテーマで特集した。

 

令和は個人の時代といわれる。ファンを持つ者が勝ち、ファンを持つ者が有利に生きていける。その時代性を体現していくべく女性の活躍を願い結びとさせて頂きたい。

 

 

 

参照:「ナイロンの衝撃」と日本の蚕糸業の衰退
  ――アメリカ市場の変容と GHQ によるデザイン育成――

 

   

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