小渕志ちロゴ2

小渕志ちロゴ
Facebookアイコン Twitterアイコン LINEアイコン お問い合わせボタン

コラム

小渕志ちと現代の養蚕農家「海野久栄」

小渕志ち研究所の目指すところは、生糸文化を後世に伝えていく事。もう一つは、養蚕業の衰退を止めるべく、養蚕業を勉強したい後継者を見つけて、育成する事にある。豊橋市は、以前は養蚕業が盛んな地域であり、群馬・長野・豊橋と言われる程であった。近年は、繭の価格も下落してしまい、養蚕業も衰退した日本であったが、明治大正の時代では、日本人と蚕の関係は、蜜月関係であり、生糸の輸出をして外貨を稼ぎだすほど、一大産業であった。家で蚕を育てるために桑の葉を食べさせるなど、乗車したタクシーのドライバーまでが語りだす程であった。「私のおばあちゃんが養蚕をしていた」「昔は、桑畑ばかりだった」と今から100年前くらいの歴史を繋ぐ、お蚕様の歴史であった。

いざ奥三河の新城へ。JR新城駅からタクシーで向かうこと20分。道中は小雨も降る中で、幻想的な山々に囲まれた道を進んでいく。新城市出沢(すざわ)の海野久栄さん(94)は県内で数少ない養蚕農家として活動している。奥三河地方では蚕の糸を育て、約1300年前から伊勢神宮に絹糸を献上していたとされる。現在、献上しているのは県内では海野さんが唯一の養蚕農家。「赤引糸」と呼ばれる糸を紡ぐための繭をつくり、毎年7月に奉納されている。 辺り一面は、山と田んぼで囲まれて、水田からは水のせせらぎが聞こえてくる。

 海野さんの指示に従い、坂を下るとそこには大きな小屋が現れた。海野さん曰く、「ここは産出場(さんしゅつば)」との事である。ここで繭を出荷しているのである。養蚕場には桑の葉の上で蚕が数千匹育ってきた。

辺りには、当時の治具らしきものがあり、今でも養蚕を開始できそうな雰囲気を醸し出している。

新城でも上部に位置する出沢で一際目立つ郵便ポストも存在した。

 それでは、中に進んでみよう。探検隊になった気分である。荘厳な蛍光灯から不思議なオーラが出ている。心がスーッと浄化されていくような感覚で中に入ってみると、そこには・・・       海野さんの愛用する農作業用具やスケジュール表など入り口に所狭しと置いてあった。94歳でもびっしりスケジュール管理されているところを見ると、感心の一言である。それでは、産出場に向かう。

産出場の中に入ると、工具や図りや地図といった海野さんが以前から使用してきた「仲間」が沢山存在している。海野さんの性格を反映しており、そこには歴史が詰まっている。

 

蚕糸有功賞を授与。発行元は、一般財団法人大日本蚕糸会の会頭より。

各種イベントのポスターがあり、2018年、2019年と海野さんが掲載されたポスターも発見。また、よく観ると扉には当時の出荷した繭の重さと金額が載っており、現代の管理方法とは違う、アナログの良さが白色のチョークから滲み出ていた。

以前の日本の旗と現在の日本の旗。

繭袋もしっかりと準備されており、いつでも作業に取り掛かれる準備がそこにはあったのだ。

   

繭、繭、繭。ガムテープと繭と鎖とカッターナイフ。

        

当時の貴重な座繰器があった。現在も保管状態が良くて今でも稼働できそうだ。

 

      沢山の農機具があり海野さん曰く「養蚕と農業」で生計を立ててきたとの事。「まずは道具がなきゃ始まらんじゃろ」とお話しされる程、道具の保管状態が良く整理もされて、感動の一言である。      炊事場もありお湯も沸かせて休憩もできる、ホッとする空間である。

  

座繰器かと思いきや、精米機だった。

 

     

繭袋が沢山あった。海野さんが述べたのは、「後継者が4人。みんな歳をとって、80代の弟子のみ」との事だった。やはり若い人で弟子入りする人がいたら、さぞかし嬉しいのだろうな・・・と思うと胸が苦しくなってきた。

 

 

当時の温度計である。Nikkelというメーカーのようだ。

 

さて、ここでは動画を準備した。これまで写真撮影したものを動画で見る事ができる。是非とも産出場を堪能していって下さい。

 

 

外に出ると、愛知県蚕業センターの看板が現れる。ここには、体験や見学を求めて以前は多くの方々が訪れた社会見学の場所である。

 

辺り一面は、すっかりと夏の暑さと気持ちよさそうな木々の恵みがマッチして、特に、産出場の外にあるサボテンは、のびのびと天を目指してるのであった。黄色の花々がきれいであり、産出場の建物とマッチした深緑の色が、これまでの歴史を物語る様に、壮大なものであった。

 

 

 

新城で有名な棚田。日本一綺麗な棚田が新城にあるという方もいる位、自然が豊かで四季折々の表情が見受けられる素敵な場所である。

 

海野さんの養蚕業を営む場所から離れたところで撮った風景。海野さんは、「養蚕業では労働の割に食えなくなってきたのでやらないようにしている、身体もキツイ、夏場は養蚕は休憩」との事だった。海野さんに尋ねると、「私は後継者など考えていなかったが、もし座学や養蚕の所を見たいのであれば、9月頃に始める予定です。よかったらその時にでも見に来て下さい」との事だった。学びたい人は、座学で海野さんから直々に学べる養蚕の歴史と蚕と桑の話など聞く事ができます。

 

小渕志ち研究所では、「次世代養蚕担い手糸徳塾」として海野さんの弟子入りしたい方を募集致します。もし興味がある方は、是非ともお問い合わせください。今後も小渕志ちと関係がある方々をご紹介させて頂きます。日本の生糸文化を後世に繋ぎ合わせ、糸と糸を結ぶ役目をしていきたいと思います。更に、希少な治具や座繰機など糸徳財団で買取していければと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。

   

 -

関連記事

    関連記事はありませんでした

コメントを残す

PAGE TOP